kyuugoshirae’s diary

読んだもの見たものなどについて

映画『恋する惑星』

 

ウォン・カーウァイ監督の言わずと知れた名画。初めて観た。

フェイ・ウォンは日本ドラマの『ウソコイ』や Eyes on me で知ってたけど映画では観たことなかった。重慶大厦のことはこの間NHKドキュメント72時間を見て多少知ってたので、無国籍無秩序な感じは90年代から変わらないんだなと思った。映画は香港の、そしてフェイ・ウォンのプロモーションビデオみたいだ。

単に美しいとか楽しいとかいう単語では表せず、映像で初めて伝わる圧倒的な香港のエネルギー。きっと今の香港は当時のような返還前の香港ではないのだろうけど、香港に行きたくなる。

フェイ・ウォンはキュートで奔放で魅力的。彼女が歌う劇中歌「夢中人」、とてもかっこいい。

あと、ここ数年で2度訪れた台北のことも思い出して行きたくなった。エネルギッシュで最新の高層ビルと古い街並みとが隣り合い、不思議な洗練やかっこよさがある素敵な街。今の香港と台湾を比べてみたいな。


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恋する惑星 ― オリジナル・サウンドトラック

恋する惑星 ― オリジナル・サウンドトラック

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映画『クーリンチェ少年殺人事件』

先日やっと観てきた。

切り口を色々学ぶと多面的に観られる映画なのだろうけど、それよりも今は自分に響いた極めて個人的な感想を大事にして、自分の中で消化していたい。まだ本作を観ていなくてこれを読んでいる人がいらっしゃったら、ここから先は読まずにネタバレも何もなく観た方がいい。「個人的な感想」というものが幾通りも生まれる映画だろうから。

以下私的な覚書、感想。

他人に一方的に期待して一方的に裏切られた気になって一方的に感情をぶつけてしまうっていう、ディスコミュニケーションを真正面から見せつけられてぞっとした。

思春期映画、異邦人の映画、とかいろんな見方がある映画なんだろう。しかし、強く思ったのは、各々が通じ合えないのに通じ合うことを信じたがるけれど、大人も子供もそれぞれがそれぞれにひとりとして描かれているということ。特に思春期の少年少女たちが見せる恋愛模様や人間関係は、社会や立場というオブラートに包まれた大人のそれよりもはるかに冷酷だ。そんな冷酷な感情の発露を経て、痛い目も見て、苦しまなければうまく大人にはなれないのも事実なんだろう。

大陸から台湾に来た外省人の孤独、少年少女の孤独、家族それぞれの孤独、いろんな孤独が相似形を描いてる映画に観えた。今の私的な関心が他者とのコミュニケートのあり方、相互作用、相互理解、成長過程における感情の発露の仕方や他者との関わり合い方、というところに集中しているから、こういう観方になったのだと思うけど、思春期真っ只中に観たらどうだったのかな。全く意味がわからなくて、歳をとるごとに思い出しては少しずつ見えてくる映画だったかもしれない。  

Rosas Fase 東京芸術劇場 2017.05.03

一昨年の『ドラミング』ぶりにローザス東京芸術劇場。今回は Fase と時の渦が上演されたけど、ケースマイケル本人が踊る Fase を観てきた。

スティーヴ・ライヒの楽曲で踊るダンスだけど、当日パンフのケースマイケルの言葉に「自分の音楽経験を振り付けにしようと試みています」とあるように、いわゆるダンスという言葉や踊りという言葉では表せない世界。音楽経験を肉体を通じ可視化しているのだと思った。Faseはライヒの音楽4曲からなる踊りだけれど、1曲目のPiano Faseは本当に観られてよかったと思う。


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映像でも二人のダンサーとその影が重なったり離れたりする様子はわかるけど、奥行きある舞台を観ると全く別物。ダンサーが舞台奥と手前を移動するときに影の具合が変わるのだけど、ライヒ楽曲で一つの旋律が二つに分かれ違うメロディになったり合わさったりという様子が見える。耳で聴くと同時にダンサーの動きや距離感を通じて旋律が見えるのだ。

二人のダンサーが腕を振り上げターンするたびに翻るドレスの裾はさざ波のようで、こちらに近づいたかと思えば遠ざかる。照明と影は観客の目を惑わせ、二人のダンサーが幾人にも増えたり減ったりして見える。演目が終わる頃には冷静に旋律と動きの関係を観察しながらも、夢中になるあまりトランスのような状態に陥っていた。

これは全く確証のない考察なんだけど、ローザスのダンスは数学や物理をわかる人だとより楽しめるんじゃないかと思う。ドラミングの時も思った。自分は物理の素養が全くないので勘ですが。

先日ヴッパタールのカーネーションも観たけれど、それぞれに違う素晴らしさ。コンテンポラリーダンスは言葉や音楽やあるいは他の何かを肉体の動きによって表すのだなと改めて思った。次は11月のバットシェバが楽しみで仕方ない。

Reich: Drumming

Reich: Drumming

  • アーティスト:Reich, S.
  • Lso (London Symphony Orch
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ほしよりこ『逢沢りく』

手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞作『逢沢りく』、遅ればせながら。

ほしよりこさんのインスタをたまに見てるのだけど

 
 
 
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こんな風に、鉛筆の線に迷いがない。

この漫画はセリフ含めて全編鉛筆描きなんだけど、インスタ以上に繊細なタッチ、高い精度の線で描かれている。かといって、読んでいて負担になったり疲れるような神経質さは感じさせない。

表情の描写が特にわかりやすいけど、ほんの少しでもぶれたらまったく別の心情の顔になるだろう繊細なタッチ。眉間を寄せたり口元を歪ませたり、微笑んだり大笑いしたり、少ない線で様々な表情と心情が伝わってくる。表情だけでなく背中や足元のラインも、心情を語っていて無駄な線がない。例えば、登場人物の後ろ姿を見るだけで表情が浮かび気持ちも感じられる。直接描いていないものまで読み手に届いて、伝わる絵、伝わる漫画という巧さがわかる。

そしてほしよりこさんは書き文字も素晴らしい。力の抜けたような筆致なのだけど、気持ちにぶれがなく、狙った通りに書く手元の精度がなければ書けない文字だと思う。

線が少なく余白で語る絵柄と、頁いっぱいの書き文字とが合わさったシーンは圧巻。食卓を囲む家族の賑やかさ、食器の音まで聞こえてきそうな描写で、主人公逢沢りくとの対比が面白い。ストーリーは逢沢りくの成長譚だけど、周りの大人や子供の葛藤や思いも丁寧に描かれている。

筆者は人の心情を読み取ったり感じたりする解像度のようなものが凡人とは全く違うレベルにある人なのだろう。視覚的な解像度も高くて素晴らしい眼を持った人にしか描けない作品だと思った。

ほしよりこさんのインスタは美味しそうな食べ物がたくさん載っていて、おすすめ。絵が上手い人は字もうまいし、眼が良いから写真も伝わるんだなと感じます。 

 

黒澤明『乱』

2時間じっとしているのが苦痛なので映画をほとんど見ない。が、先日たまたまTSUTAYAのクーポンが当たったので、黒澤明の『乱』を借りてみた。

  • ピーター、演技は下手だと思ったけど身体で語るのはうまい。踊りも品があるしお小姓らしい軽妙さ。日舞の家元の息子と知ってなるほどと思った。なんとなく「京阿弥」と思い込んでいたら狂阿弥だった。なるほど。真夏の夜の夢のパックみたい。
  • ワダエミの衣装、単なる衣服でなく一小道具として大いに語っている。10年ほど前の『装苑』のインタビューがとても印象的だったんだけど、「日本映画は予算がなくて布をケチる。チャン・イーモウの『LOVERS』など中国映画は予算が潤沢だから布を惜しみなく使って表現できる」というようなことを言っていた。おそらくは『乱』も予算が潤沢だったのだろうなあと思った。一文字秀虎の衣装、布地のはためき方や汚れ方が絶妙。
  • 制作年代的にこういうもん、と言ったところか女性の描写は物足りない。
  • 野村萬斎鶴丸、笛を吹く指に心細さや恨みが表現され、寂寞とした荒屋にいながら高貴さや繊細さをたたえた佇まい。野村萬斎って目の細さと口元の感じが星野源に似てるな。あの顔って周期的にはやるのかもしれない。だとしたら野村萬斎の息子も安泰だな。
  • 仲代達矢の身体能力はすごいな

聞きしに勝るエンタメかつ純文学ぶり。映画は一人じゃ作れないし、資金の問題もあるし、だからこそできることもあるけれど運に左右されるところが大きいんだろう。その中でコンスタントに名作と呼ばれる作品を撮り続けられたのはやはり普通の人間ではない。

映像表現は全く数を観ていないから、これからいろいろと観るのが楽しみ。今度は『羅生門』借ります。

 

 

写真と本と生身の体

カメラマンさんと話していた時、「写真なんてうまれて高々100年の表現だから」と言うのを聞いて、そこからぼんやり思ったことなど。

活版印刷も写真も何かしらの技術革新から生まれたメディアで、時の経過で技術が失われたらメディアそのものも失われてしまう。活版印刷も写真もデジタルに置き換わってしまいつつある。反動みたいに「活字の良さ」とか「フィルムの味が」とかいうブームも起こっているけれど、なくなってしまうのは時間の問題。昨今紙の本がなくなるって言われているけど、電書の技術がもっと進めば紙の本は贅沢品、嗜好品になるんだろう。そう言えば小さい頃読んだSFではボードと駒でプレイするオセロも紙の辞書も高級品で庶民の持ち物ではなかった。閑話休題

デジタルデータはデバイスに依存してる、紙は実体があるけど燃やせばなくなる、となるとやっぱり石板(ハンムラビ法典みたいに)と壁画(ラスコーみたいに)最強なんじゃないの?と思った。

ここまで大袈裟な話じゃなくとも、カラープリントが褪せちゃうことで、モノクロ写真より新しい時代の画像が一斉に消えてるんだと聞いたことがある。下手したらカラープリント黎明期の記録がそこだけ抜け落ちるとかなんとか。

ここからは表現や伝達手段の話だけど、吟遊詩人は紙も印刷もなかった時代に口伝で情報を伝達してたんだからすごいとつくづく。だけど文学は言語に依存する時点で伝えられる相手がとても絞られるからなんと窮屈な表現方法かと思う。絵画彫刻も視覚に訴える点でさすが古いメディアだけど、結局立ち返るべきは身体表現なんじゃないかと。

踊り(天の岩戸)とか戦い(オリンピック)って祭祀と密接でとてもプリミティブな表現で、言葉が通じずともなんとかなるし、楽器がなくても体を叩けば音は出るし、とにかく身ひとつで成立させられる。

でこのプリミティブな表現とテクノロジーを融合させようとしてるのがライゾマティクスとELEVENPLAYのやってることなのかもしれない(ライゾマのインタビューとか読んだことないから見物人としての率直な感想だけど)。しかし私見では融合には全く至ってないし、テクノロジーすごいでしょっていうドヤ感が先に立ってる感じで表現として成立してないとすら感じた。これからこの分野はどんどん新しいものが生まれて成熟してそれこそ全く新しい表現のあり方が発生するんじゃないかと思うんだけど、自分が生きてる間に見られるのかどうか。

デジタル技術を利用した表現は頭打ちだって言説もあるけど、それはさておきデジタル跋扈の時勢だからこそ、身体の熱や厚み、質量に回帰というか揺り戻しが来るんじゃないかと思っている。生身の体を見、触れられるのは同じく生身の体だけだ。生きてる時間が全てでそれきりなので、やっぱり身体表現はすごい。

自分が生きてる間に少しでも面白い身体表現が生まれてほしい、それを観たい、という願望を書き殴って了。

ayabambi@2016紅白と、ダンスをメディアに乗せるって難しいなという話

夏から秋口にayaさんbambiさん間で色々あったみたいでお二人での活動を楽しみにしてる身としては本当に揺らされたけど、2016年の紅白も椎名林檎の後ろにいてくれてよかった。

カメラアングル見てると、椎名林檎がずっとこだわってるシンメトリーを強く意識していて、ayabambi自体のコンセプト(彼女たちはそんなこと明言してないけれど)のように見えるもの、もシンメトリーであったり一心同体だけれど違う人間の一対、とかそういうワードから導かれるので、椎名林檎にはやっぱりayabambiなんだなと。

で、今回の紅白にはダンスの有名どころだとイデビアンクルーの井手茂太さんとか菅原小春さんも出たり振り付けたり、土屋太鳳は身体表現力あるなあ女優として強いよなあ、と思わされ、やっぱり星野源のバックはELEVENPLAYだし恋ダンスはMIKIKO先生で、ここに水曜日のカンパネラが出てたら川村美紀子が出ていたかもしれないのに!!と思った。

ayabambiMIKIKO先生は普段からショーやMV、ステージで映える振り付けをたくさんやってるけど菅原小春さんはジャンルが違うわけで、坂本冬美のステージは見てて歯痒さばかり募った。菅原小春さんを全く活かせていなくて、NHKのとりあえず呼んどきました感よ。ほんとうに怠慢でしかない。かと言ってどうすれば坂本冬美の歌が聴けてかつ菅原小春のダンスが伝わるのかというと私もわからない。そもそも無理な話なのかも。そういうわけで年末の締めはもどかしさばかり感じる結果となった。

今年というか今年度末はコンテンポラリーダンス充実してて、横浜ダンスコレクションの名和晃平森山未來世田谷パブリックシアターのピーピング・トム、彩の国芸術劇場ではヴッパタール。来年度のGWは池袋の東京芸術劇場ローザス。忙しい。

あと、昨年Mステに出てたライゾマティクスとELEVENPLAYのパフォーマンスは、カメラアングルのせいか全く楽しめなかった(でもあれってカメラアングルが肝なのでは)。新しい技術としては面白いところがあるのかもしれないけど、それをダンスパフォーマンスと一緒にして楽しめるところまでは昇華されていないと思った。

齢を重ね体が思うように動かなくなればなるほど、身体で語れる人はなんと強いことかと思う。言葉が通じなくとも、特別な道具がなくとも、身体ひとつで語り、伝え、表現できるのだから。


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椎名林檎とAyaBambi、そしてマドンナ

2015年の紅白では椎名林檎と(椎名林檎の後ろで、というには大きすぎる存在感だった)AyaBambiが踊ってて、更にはしょっぱなから向井秀徳もワンフレーズだけ歌っててとても贅沢な数分間だった。

AyaBambi椎名林檎の今回のツアーに帯同せずマドンナツアーのメインダンサーになっちゃってて、これはもう椎名林檎とは一緒にやらないのかな、ギャラもすごそうだしなーと思っていた。どこかの音楽番組で「マドンナにとられちゃったんですよね」と椎名林檎も笑い混じりに言ってたし。なのでまた一緒に踊ってるのを観られた喜びもひとしお。踊り自体はヴォーギング!な感じで、ずっと正座してるのは新しかったけど、もっと下半身までがつがつ動かすのも観たかったな。椎名林檎が和装だったから仕方ないのかもしれないけど。

2月のマドンナ来日コンサートで、AyaBambiもたくさん踊ってくれるので楽しみなんだけど、マドンナがお客さんをステージに上げてバナナをプレゼントする一幕に椎名林檎が出ないかなっていうのが楽しみ。13日と14日、どっちかは椎名林檎じゃないかなあ、だったら面白いのにな、と思っている。私は13日に行くので、待ち遠しい。

今月のVOGUE JAPANでダンス特集が掲載されてて、AyaBambiが出てて嬉しかった。森山未來も、Noismの金森穣も井関佐和子も。表紙はピンクのロングヘアでおなじみのフェルナンダ!久々に雑誌を買いました。AyaBambiのインタビュー、短いけど載っていて貴重。