kyuugoshirae’s diary

読んだもの見たものなどについて

ポカリのCMのことを書きたくなってブログ作りました

きょう2021年4月9日金曜日に公開されたポカリのCMがとても語りたくなるものだったので、衝動的に色々書きました。


www.youtube.com

瞬発的にバズって「CGじゃなくてセットが動いてる」「15歳の中島セナさんがすごい」と話題になっていて、私も疾走感ある映像や中島セナさんの表情やセットに目を奪われた。

面白くて何度か繰り返し見てるうちに気になったのは「でも君が見えた」。このCMのタイトルで、CM冒頭にも出てくる。

「でも」って、何に対しての「でも」?

主人公の笑顔は不満とか嫌なこととかネガティブなものと対になっていることになる。何か(嫌なことや不安なことや悲しみ)があった、でも君が見えた。とかそういうことだ。

もう一度CMを冒頭から見る。窓から光が射す薄暗い廊下の真ん中を一人で歩く主人公。主人公が見えていないかのようにはしゃぎながら主人公を追い抜いていく男の子たちと女の子たち。みんな二人一組で楽しそうにしている。どの二人もみんな、同性の記号のような服装をしている。スカートやスラックス、長い髪や短髪、後ろ姿で見るかぎりみんな「同性」。

主人公が振り返り、他のみんなと逆の方向に走り出す。「その手を離してしまったならきっともう取り戻せない」という歌詞と共に波打つ廊下と吹き付けるテスト用紙。アメフトのユニフォームや道着を着た部活に行く生徒たち。廊下から見える教室で楽しそうに踊ってる生徒たち。

「その手を離してしまったならきっともう取り戻せない」に続く「としてもまた」という歌詞と同時にまた主人公は振り返り、「春を越えてゆく」という歌詞とともにぐっとドアを内側に開く。ドアの外の桜吹雪とともに、藤や桜に囲まれた波打つ通路を主人公は疾走する。(この湾曲したドアをどうやって開く仕組みにしているのかとても気になる)

ドアが開いた講堂に駆け込むとそこは壇上で、青い緞帳がおりている。主人公は髪の長いスカートを履いた生徒と手を取り合う。手を取り合って笑顔で宙に浮く二人を中心に世界は回り、緞帳は軽く舞い上がる。「目に映るものすべてを 青色に染めてゆく」という歌詞が流れる。うなづいた相手の手を引っ張るように主人公は壇上を駆け下り、他の生徒たちの真ん中を割って二人は講堂から出ていく。「手を伸ばそうよ、届くから」というナレーションと、笑い合って手を繋ぐ二人。「何が起こるかわからない でも君が見えた」という歌詞。

「みんなでダンスしてたポカリのcmに対するセルフパロディーや自己批判のメッセージかも」

「コロナ絡みでいろんなコミュニケーションが難しくなって、出会いの季節のはずだった春が今はそんな呑気な雰囲気じゃないのを反映してる」

「友人とか性別とかを越えたいろいろな関係性のあり方を示唆してる」

とか、見る側が推察とかシェアしたくなる内容で、やっぱり勝手に色々考えたくなった。

冒頭の主人公を取り巻く学生たちには一見異性同士の組み合わせの二人がいないけど、本当は異性同士の二人なのかもしれない。だって「短髪でアメフトのユニフォームを着た生徒」や「スラックスとネクタイの生徒」が男子生徒とは限らない。主人公と手をつないだ「髪の長いスカートの子」も女生徒かどうかはわからない(知りようがない)。

「多様性へのメッセージ」「LGBTQにさらっと触れてる」とか言ってしまうのは簡単だが、ここで「多様性」「ダイバーシティ」「LGBTQ」とかのワードを軽く使ってしまうと陳腐になるように思うのでやめておきたいところ。

 

今このCMの情報をみた

natalie.mu

これを読むとこの曲はこのCMのために作られてるんじゃないかという感じ。

「勇気を出して、自分の道を進んだら『逆風』が『追い風』に変わる」というメッセージが込められている。

らしい。

ちなみに主人公が通路を走っているシーンの歌詞がうまく聞き取れない。

「十年後(?)言おう(?) 忘れてく」

と聞こえるけどわからない。この A_o というアーティストや BULE SOULS という曲の歌詞がわかるようになったらもっと面白く見られるのかも。

ゴリゴリなマーケティングの視点や過去のポカリのCMを比較する視点で書いたりクレジットを見て書くと無粋な内容になるだろうし、箇条書きにするとプレゼンみたいだしと思い、勢いで書き散らしました。