kyuugoshirae’s diary

読んだもの見たものなどについて

『ゆりあ先生の赤い糸』が完結した

休眠状態だったこのページに突然アクセスが急増して驚きました。こちらのpostが週刊はてなブログで言及されていたようです。

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こちらにもある通り、『ゆりあ先生の赤い糸』は先日最終回を迎えたのだが、ゆりあ先生はやっぱり日々の生活を回すことと厄介事や心動かされることとを両立するパワーがある人でした。

自分がこの作品に入り込めたのは、ゆりあ先生が降って湧いた厄介事に奮闘しているところだけでなく、ゆりあ先生が日々の生活を回す描写が多かったからだと思う。ゆりあ先生は毎日どんなものを作り食べ、どんな人と接してどう反応しているのか。また服の好み、スキンケアや体調管理、コンプレックス、許せること許せないことの線引きなど。こまごまと知るにつれてこの人こういう思い切りの良さがあるよな、とかこういう気の遣われ方するの嫌う人だよな、と彼女の人となりがはっきりこちらの頭に描かれていく。

作中では突拍子もないことがたくさん起こり、ゆりあ先生は突拍子もない対応をすることがたくさんある。その度この人はこういう対応するよなあと納得するし、読んでる自分も多少の突拍子もなさには動じなくなった。

食事をし眠り起き体調を保つといった営みは、地味で面倒で細々した膨大な作業の積み重ねで成り立っている。ゆりあ先生はこの家の生活を回す立場をやりつつ厄介事に動揺したり人間関係のややこしさに苛ついたり恋をしたりと、よくそんなに体や感情を動かせるなあと思ってしまった。ゆりあ先生は「しょーがないだろこうでもしないとやってらんないよバカヤロー」とか言ってそう。

当然のように作品が終わるまでゆりあ先生の周囲には色々なことが起こるが、ゆりあ先生はこれからも日々の生活をこなし、感情を動かしながら生きていくんだなと思う終わりだった。「色々あっても元気に過ごせる平凡な日々こそ得難く素晴らしい」といった変に前向きなテイストのメッセージは微塵も込められていないと思ったし、大変なことは大変だバカヤロー!というエネルギーを最後まで感じた。

こんな話を考えて、生活を回しながら作業して(作者の入江喜和先生のブログを読んだ印象だが入江喜和先生は生活をぶん回している)、入江喜和先生は地に足を付けた生活者であることと創作活動を両立している怪物のような人ではと思ってしまう。作品のエネルギーに圧倒されることを楽しめる作品だった。

最終巻のバナー下にネタバレを含む感想があります。

「突拍子もないこと」の最たるものがコロナだと思う。一変した世の中で身を守りつつ生活しなければいけない。

この作品はコロナがある世界になるのか、またコロナを取り上げるならどう扱うのかとても気になっていたが、ゆりあ先生の生活もコロナで大変なことになっていた。

連載中の色々な漫画で「作品世界にコロナを存在させるかどうか」はとても興味深いところで、「この作家さんがコロナが存在する世界を描いたらどうなるんだろう」と考えることが多い。

漫画に限らず表現とか創作とか呼ばれるものの中でパンデミックをどう扱うか、またそもそも扱わないのか、というのは作り手の考え方や創作のスタンスが大きく反映されるトピックのひとつだと感じる。

避けようのない理不尽な生活の変化という経験を作り手や受け手含めた全員が共有している。こんなに大きな経験を多くの人間が共有することはめったに起こり得ないだろう。作り手がこの出来事をどう捉えているのか、直接的であれ間接的であれどう作品に反映されるのか、とても知りたいし気になる。また、受け手の自分がどんな反応をするのかもとても気になっている。