kyuugoshirae’s diary

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朱戸アオ 『Final Phase』と災害ユートピアについて

都心の湾岸地区にウイルスの猛威が襲い掛かる!! 世界との距離が近くなった現代日本に、警鐘を鳴らす本格ディザスターコミック!!

Amazon Kindle Unlimited 紹介ページより引用)2011年に出版されたコミックで、同作者による2017年発行の『リウーを待ちながら』に続くような「未知の感染症」を扱った作品。

新型コロナウイルス感染症を連想させるが、COVID-19もなにも発見されていなかった頃の作品だ。

舞台は遠くない未来の東京の都市。原因不明の体調不良や急死が相次ぐ中、感染拡大阻止や感染者の回復方法を探る医師と感染症研究者、自分にできることはないかと奔走する地域住民など、コロナウイルスが確認された初期はこんな動きをしていた人がいただろうと想像するような描写がたくさんある。

『Final Phase』を最後まで読むと、作者による大きな仕掛けがある。虚構であるはずの作品世界が現実と繋がっているような錯覚を起こさせる仕組みで、今読むことでもっとインパクトがある読書体験になるはず。

作者の朱戸アオ先生は感染症をはじめ色々な分野に博識なようで、『Final Phase』の後に描かれた『リウーを待ちながら』は感染症がもたらす個人やコミュニティの変化をより深く描いた作品だ。どういうバックグラウンドを持つ方なのかとても気になる。全3巻と読みやすい長さなのでおすすめ。

今連載中の『ダーウィンクラブ』も優性思想やグローバリズムについて描かれており、突っ込んだ議論に触れてくれそうな感じ。スリルとドラマ性がある展開も面白い。まだストーリーの中盤あたりのようなのでリアルタイムで追う楽しみも味わえる。

『Final Phase』を読んで初めて知った言葉に「災害ユートピア(dissaster utopia)」というものがある。

多数の犠牲者を出し、一部地域に集中した悲劇を目の当たりにした社会では、人々の善意が呼び覚まされて一種の精神的高揚となって理想郷が出現するという。

災害ユートピア | 日医on-line

2009年にアメリカの著作家レベッカ・ソルニットにより提唱されたというが、このような現象に関する指摘は阪神淡路大震災に際して日本人からもなされていたらしい。

災害ユートピア - Wikipedia

悲惨な事態に巻き込まれると集団ヒステリーやパニックなどコミュニティを広く覆う雰囲気や空みたいなものが発生するが、「災害ユートピア」も集団ヒステリーの一種と位置づけられるのではないか。危機的状況の渦中にあるコミュニティで、他者への善意の行動によって自分を保とうとする人は多い。

災害の中で互助精神が生み出すユートピアというのは確かに的を射た表現だ。そして同時に奇妙な連帯感が是とされることも多いと思う。

例えば東日本大震災の後は「絆」というワードが至るところで使われ消費され、経済活動の動機付けになったりした。「絆」=正義や是であり、「絆」と言っとけば何でも通っちゃうし、「絆」的なムーブメントになにか変なところがあっても否定しにくい雰囲気だったように思う。ともすれば全体主義的、「絆ファシズム」みたいになりかねないのも災害ユートピアの影響と言えるのでは。(私は「絆」の雑な濫用をものすごく懐疑的に見ていたし今もそうだ)閑話休題

もちろん災害ユートピアはずっと続かず、その後コミュニティがどう回復するかが大きな問題で、そのあたりはwikiにも詳しい。

今現在の新型コロナウイルスをめぐる状況にしても経済的打撃は回復しておらず、後遺症に苦しむ人や精神的に傷を負った人たちのケアはどうするという問題もたくさんある。強い新型変異株の発生だってあり得る。

こうなると行政だの政治だの国際世論だのスケールが大きな話になってしまうが、「絆」などと耳障りのいい言葉を使って災害を消費できた頃はまだ余裕があったんじゃない?と皮肉のひとつも出てしまう。

「災害ユートピア」という相反するワードからなるネーミングはとてもインパクトがあり、名前がつくことでものごとが分かりやすくなったり概念を共有しやすくなるという名付けという行為の力を強く感じた。