kyuugoshirae’s diary

読んだもの見たものなどについて

松浦理英子『ナチュラル・ウーマン』

一気呵成に読みながらエネルギーを吸い取られるのがわかり、読了後には大きな疲労感が残ったが、筆者の筆力に飲まれるまま読めたことに清々しい気持ちを覚えた。

私が読んだのは1994年に河出書房新社から刊行されたもので、『いちばん長い午後』『微熱休暇』『ナチュラル・ウーマン』の順に三篇が収められている。

いずれも主人公の容子と女性たちの物語で、恋愛とも肉体関係とも言い難い関係性が丹念に描かれている。容子とその相手の女性たちとの間には何かしらの関係はあるのだが、私はそれらに名前をつけることや、何かしらの名で呼ぶことを拒みたい。果たしてこの情動は肉体が呼び起こしたのか、感情の変化が快楽や痛みを引き起こしたのか。卵と鶏の間柄のように考えてもきりのない問が浮かんだ。

登場人物たちの年齢に反して最も若々しくみずみずしさを感じさせる『いちばん長い午後』、表題もストーリーも気怠くそしてさわやかな『微熱休暇』、エゴとエゴ、人間同士のぶつかり合いが緻密に描かれた『ナチュラル・ウーマン』。

おそらく、これらを書き上げるために筆者が消費した熱量は相当なものだろうなと感じさせる。実際は軽々と書かれているのかもしれないけれど。

淡々と描かれる激情に飲み込まれ圧倒され、私はナチュラル・ウーマンであったことがあるだろうか、こんなに他人とともにいた経験があるだろうか、様々な感情を持ったことがあるだろうか、と内省させられる一冊。 

温又柔『真ん中の子どもたち』

日本人と台湾人夫婦の間に生まれた女性が主人公の青春群像劇。母語とは?国境とは?言葉とアイデンティティの関係や国籍、そしてなにより青春を描いた話。

イギリス英語、アメリカ英語、またシングリッシュなどのことをEnglishes と言うけれど、それ以上に多様な言葉の違いが中国本土と台湾にはあり、中国本土の中でも上海語や広東語、北京語と多様な言葉がある。どの言葉を正しいとするかは時と場合によるのだろう。主人公の女性は日本語の読み書きもし、台湾人の母が使っていた台湾の言葉も理解するが、上海に中国語を学びに行く。今まで覚えてきた言葉とは異なる中国の「普通語」に戸惑う主人公。「国籍」や「母語」、また「正しい言葉」に対する考え方がそれぞれに異なる登場人物たちとかかわる中、主人公の心中は揺れる。

偶然にも読む前日に見た放送大学パレスチナ文学を扱っており、言葉と祖国とアイデンティティについて考えていたので響くところが大きかった。将来的に日本が日本という国でなくなることがあったとして、その時自分が生きていたらアイデンティティを何に依拠させるのだろう、国や国境についてどんなスタンスでいるのだろうと思考を巡らせていたので。私の祖父は日本人だが、日本統治下の台南生まれ台南育ちなので、もし違う歴史があれば私は台湾に生まれていたかもしれないし、自分に台湾の血筋が入るような現在もありえた。ifを並べ出せばきりがないけど、たまにそういうことを考える。また小中高と中国籍の子や日本籍の日台ハーフの子と仲が良かったのもあって、自分ごとに引きつけて読んでいた。

宮本輝芥川賞の選評でこの作品について「日本人にとっては対岸の火事」と言ったそうだが、え、世界文学とか全否定してることになるけど本当に大丈夫????と笑ってしまった。筆者もこんなくだらないことで心中乱されて大変気の毒だとしか言えない。

説教臭く、重く硬くなりかねない題材だと思うんだけど、青春のきらめきを描く筆者の視点は温かく柔らかで、読後は晴れやかな気持ちになった。早速筆者の他の本も買いました。もっといろんな作品を読みたい、追いたい作家。

余談だけど、作中で主人公の母親が作ってくれる水餃子が本当に美味しそうでどうしても食べたくなり、読んだ直後に水餃子を買って帰った。これから読む人もきっと食べたくなると思うので書いておくと、大阪王将の「ぷるもち冷凍水餃子」はとても美味しいのでおすすめです。

映画『スラムドッグ$ミリオネア』

アマゾンプライムにて。

娯楽大作であり貧困や人間ドラマが描かれた綺麗な作品だった。

ジャマール役とラティカ役の役者さん、2014年まで付き合ってたのだね。ジャマールのまっすぐな瞳、ラティカの澄んだ瞳が印象的。どうにかして生きるしかない日々とか人生とか、過酷な環境を過酷と思えるのはそれ以上に「恵まれた」環境にいる立場だからだけど、そんな上から目線のオリエンタリズムに阿ることなく安易なお涙頂戴になってなかったのがよかった。

ラストのダンスシーンが始まった瞬間笑ってしまったけど、楽しく見られた。このシーンを入れたのは、インド映画としての監督の矜持なのかもなと思った。 

映画『恋する惑星』

 

ウォン・カーウァイ監督の言わずと知れた名画。初めて観た。

フェイ・ウォンは日本ドラマの『ウソコイ』や Eyes on me で知ってたけど映画では観たことなかった。重慶大厦のことはこの間NHKドキュメント72時間を見て多少知ってたので、無国籍無秩序な感じは90年代から変わらないんだなと思った。映画は香港の、そしてフェイ・ウォンのプロモーションビデオみたいだ。

単に美しいとか楽しいとかいう単語では表せず、映像で初めて伝わる圧倒的な香港のエネルギー。きっと今の香港は当時のような返還前の香港ではないのだろうけど、香港に行きたくなる。

フェイ・ウォンはキュートで奔放で魅力的。彼女が歌う劇中歌「夢中人」、とてもかっこいい。

あと、ここ数年で2度訪れた台北のことも思い出して行きたくなった。エネルギッシュで最新の高層ビルと古い街並みとが隣り合い、不思議な洗練やかっこよさがある素敵な街。今の香港と台湾を比べてみたいな。


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恋する惑星 ― オリジナル・サウンドトラック

恋する惑星 ― オリジナル・サウンドトラック

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映画『クーリンチェ少年殺人事件』

先日やっと観てきた。

切り口を色々学ぶと多面的に観られる映画なのだろうけど、それよりも今は自分に響いた極めて個人的な感想を大事にして、自分の中で消化していたい。まだ本作を観ていなくてこれを読んでいる人がいらっしゃったら、ここから先は読まずにネタバレも何もなく観た方がいい。「個人的な感想」というものが幾通りも生まれる映画だろうから。

以下私的な覚書、感想。

他人に一方的に期待して一方的に裏切られた気になって一方的に感情をぶつけてしまうっていう、ディスコミュニケーションを真正面から見せつけられてぞっとした。

思春期映画、異邦人の映画、とかいろんな見方がある映画なんだろう。しかし、強く思ったのは、各々が通じ合えないのに通じ合うことを信じたがるけれど、大人も子供もそれぞれがそれぞれにひとりとして描かれているということ。特に思春期の少年少女たちが見せる恋愛模様や人間関係は、社会や立場というオブラートに包まれた大人のそれよりもはるかに冷酷だ。そんな冷酷な感情の発露を経て、痛い目も見て、苦しまなければうまく大人にはなれないのも事実なんだろう。

大陸から台湾に来た外省人の孤独、少年少女の孤独、家族それぞれの孤独、いろんな孤独が相似形を描いてる映画に観えた。今の私的な関心が他者とのコミュニケートのあり方、相互作用、相互理解、成長過程における感情の発露の仕方や他者との関わり合い方、というところに集中しているから、こういう観方になったのだと思うけど、思春期真っ只中に観たらどうだったのかな。全く意味がわからなくて、歳をとるごとに思い出しては少しずつ見えてくる映画だったかもしれない。  

Rosas Fase 東京芸術劇場 2017.05.03

一昨年の『ドラミング』ぶりにローザス東京芸術劇場。今回は Fase と時の渦が上演されたけど、ケースマイケル本人が踊る Fase を観てきた。

スティーヴ・ライヒの楽曲で踊るダンスだけど、当日パンフのケースマイケルの言葉に「自分の音楽経験を振り付けにしようと試みています」とあるように、いわゆるダンスという言葉や踊りという言葉では表せない世界。音楽経験を肉体を通じ可視化しているのだと思った。Faseはライヒの音楽4曲からなる踊りだけれど、1曲目のPiano Faseは本当に観られてよかったと思う。


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映像でも二人のダンサーとその影が重なったり離れたりする様子はわかるけど、奥行きある舞台を観ると全く別物。ダンサーが舞台奥と手前を移動するときに影の具合が変わるのだけど、ライヒ楽曲で一つの旋律が二つに分かれ違うメロディになったり合わさったりという様子が見える。耳で聴くと同時にダンサーの動きや距離感を通じて旋律が見えるのだ。

二人のダンサーが腕を振り上げターンするたびに翻るドレスの裾はさざ波のようで、こちらに近づいたかと思えば遠ざかる。照明と影は観客の目を惑わせ、二人のダンサーが幾人にも増えたり減ったりして見える。演目が終わる頃には冷静に旋律と動きの関係を観察しながらも、夢中になるあまりトランスのような状態に陥っていた。

これは全く確証のない考察なんだけど、ローザスのダンスは数学や物理をわかる人だとより楽しめるんじゃないかと思う。ドラミングの時も思った。自分は物理の素養が全くないので勘ですが。

先日ヴッパタールのカーネーションも観たけれど、それぞれに違う素晴らしさ。コンテンポラリーダンスは言葉や音楽やあるいは他の何かを肉体の動きによって表すのだなと改めて思った。次は11月のバットシェバが楽しみで仕方ない。

Reich: Drumming

Reich: Drumming

  • アーティスト:Reich, S.
  • Lso (London Symphony Orch
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ほしよりこ『逢沢りく』

手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞作『逢沢りく』、遅ればせながら。

ほしよりこさんのインスタをたまに見てるのだけど

 
 
 
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こんな風に、鉛筆の線に迷いがない。

この漫画はセリフ含めて全編鉛筆描きなんだけど、インスタ以上に繊細なタッチ、高い精度の線で描かれている。かといって、読んでいて負担になったり疲れるような神経質さは感じさせない。

表情の描写が特にわかりやすいけど、ほんの少しでもぶれたらまったく別の心情の顔になるだろう繊細なタッチ。眉間を寄せたり口元を歪ませたり、微笑んだり大笑いしたり、少ない線で様々な表情と心情が伝わってくる。表情だけでなく背中や足元のラインも、心情を語っていて無駄な線がない。例えば、登場人物の後ろ姿を見るだけで表情が浮かび気持ちも感じられる。直接描いていないものまで読み手に届いて、伝わる絵、伝わる漫画という巧さがわかる。

そしてほしよりこさんは書き文字も素晴らしい。力の抜けたような筆致なのだけど、気持ちにぶれがなく、狙った通りに書く手元の精度がなければ書けない文字だと思う。

線が少なく余白で語る絵柄と、頁いっぱいの書き文字とが合わさったシーンは圧巻。食卓を囲む家族の賑やかさ、食器の音まで聞こえてきそうな描写で、主人公逢沢りくとの対比が面白い。ストーリーは逢沢りくの成長譚だけど、周りの大人や子供の葛藤や思いも丁寧に描かれている。

筆者は人の心情を読み取ったり感じたりする解像度のようなものが凡人とは全く違うレベルにある人なのだろう。視覚的な解像度も高くて素晴らしい眼を持った人にしか描けない作品だと思った。

ほしよりこさんのインスタは美味しそうな食べ物がたくさん載っていて、おすすめ。絵が上手い人は字もうまいし、眼が良いから写真も伝わるんだなと感じます。 

 

黒澤明『乱』

2時間じっとしているのが苦痛なので映画をほとんど見ない。が、先日たまたまTSUTAYAのクーポンが当たったので、黒澤明の『乱』を借りてみた。

  • ピーター、演技は下手だと思ったけど身体で語るのはうまい。踊りも品があるしお小姓らしい軽妙さ。日舞の家元の息子と知ってなるほどと思った。なんとなく「京阿弥」と思い込んでいたら狂阿弥だった。なるほど。真夏の夜の夢のパックみたい。
  • ワダエミの衣装、単なる衣服でなく一小道具として大いに語っている。10年ほど前の『装苑』のインタビューがとても印象的だったんだけど、「日本映画は予算がなくて布をケチる。チャン・イーモウの『LOVERS』など中国映画は予算が潤沢だから布を惜しみなく使って表現できる」というようなことを言っていた。おそらくは『乱』も予算が潤沢だったのだろうなあと思った。一文字秀虎の衣装、布地のはためき方や汚れ方が絶妙。
  • 制作年代的にこういうもん、と言ったところか女性の描写は物足りない。
  • 野村萬斎鶴丸、笛を吹く指に心細さや恨みが表現され、寂寞とした荒屋にいながら高貴さや繊細さをたたえた佇まい。野村萬斎って目の細さと口元の感じが星野源に似てるな。あの顔って周期的にはやるのかもしれない。だとしたら野村萬斎の息子も安泰だな。
  • 仲代達矢の身体能力はすごいな

聞きしに勝るエンタメかつ純文学ぶり。映画は一人じゃ作れないし、資金の問題もあるし、だからこそできることもあるけれど運に左右されるところが大きいんだろう。その中でコンスタントに名作と呼ばれる作品を撮り続けられたのはやはり普通の人間ではない。

映像表現は全く数を観ていないから、これからいろいろと観るのが楽しみ。今度は『羅生門』借ります。